本物と偽物を見分けること
弟子にあたる友人が、ガックリ肩を落として連絡をしてきた。
「最初会った時は良い人だと思ったのに、お茶会に行ったら売り込まれ、帰った後も色々とメールで”あなたのために協力するから、自分を持ち上げてブログで書け”という内容を送って来て辟易している」と。
最初からわかりそうなものだけれど、善い人だと思ってしまうのだろうな。
明らかにその人の書いている事を読めば、愛の無い、自分と金の事しか考えていない人だという事が判るだろうに。
一見善い人が、本物かどうか、正しいのかなんて、もう分からない。
ましてやスピリチュアルを「金儲けの為のビジネス」にしている人なら尚更。
いくらでも善い人の仮面を被って、装うことはできるのだから。
赤ずきんの童話でも、赤ずきんはオオカミの変装を見抜けずに、食べられてしまった。
身体ごと食べられてからでは遅すぎる。
そういう愛の無い人間には近づかない方がいい。
近づいてしまったら大変な痛手を受ける。
身近な事に置き換えてみたらわかる。
音楽をやっている人はたくさんいて、CDを出してプロだと名乗っている、活動している人もたくさんいるが、
本当の意味で「音楽を創り、奏でている人」がどれだけいるのか?
「アーティスト」を名乗っている人の中に本物がどれだけいるのか?
それを考えてみれば、スピリチュアル業界をはじめどんな世界も同じようなものだという事が判る。
日月神示にも書いてあった。
「これが善のやり方で、真理であると思うておりた方が、
極悪であるなり、悪と思うておりた方が善であるという事が解るぞよ」
「まことの善は悪に似てゐるぞ、まことの悪は善に似てゐるぞ。
よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ」
そう。悪の大将は光輝いて見える。
イミテーションでもピカピカしていたら光っているし、
本物のダイヤモンドでも削っていなければただの石ころだ。
でもどちらが本物かと言われたら・・・?
スピリチュアルに近づくならば、痛手も受ける可能性を含めて、自分を守りながら道を行く覚悟が必要なように思う。
それを見極めることも含めて、全てが体験なのだから。